社長のブログ
2019.07.26
こんにちは。
今日は大工道具の鉋についてお話しします。
この鉋は私が使っていたものです。
28歳で設計士の仕事を後にし、大工の修行に入りました。
設計士上がりで30目前からの修行はとても大変でした。
それでも大工道具を少しずつ使えるようになって行きました。
道具の使い方、調整の仕方、研ぎ方を覚えていくと道具の魅力にはまって行きました。
そのうち、もっと切れる鉋(かんな)や鑿(のみ)はどこにあるのかと思うようになりました。
そんな頃、近所の書店で見つけた木工の本に土田昇という方のエッセイが載っていました。
その方は東京の三軒茶屋にある「土田刃物店」の代表の方でした。
土田さんは「なんでも鑑定団」の大工道具の鑑定士でもあります。
私は早速土田さんに問い合わせをしてお願いし、鉋を選んでいただきました。
大工道具は、明治に入ると刀鍛冶たちが道具鍛冶になり、農具や大工道具を作るようになりました。
その中で最も卓越した技術で当時の大工を魅了したのが幕府御用鍛冶の祖をもつ「千代鶴是秀(ちよづるこれひで)」です。
是秀の使っていた鋼を同門の名工、石堂輝秀(いしどうてるひで)が昭和51年に鉋に仕上げたものです。
一流の料理屋さんの板前は一流の包丁鍛冶の作った包丁で調理します。
スタイルカンパニーでは、家も最高の技術で作られた道具で作るべきだと思っています。
こんな想いが多くの人に伝わって欲しいと思っています。
次は鑿(のみ)のお話しします。